ゆく季節に 思いをのせて

私の住んでいる街は、区分離島。通販で冷蔵のおせちを注文御断りのさみしい扱いを受けている北海道です。今年の九月には唯一あったデパートも閉店となり、街全体が季節を先取りするようにセピア色に色好きとても閑静です。市一番の繁華街、旭川の大通公園と言っていいのやら、少し気後れしつつ思い切って言ってみますが。

歩行者天国、ベンチには、サックスホーンではないかと思われれう楽器を悠然と奏でているであろうミュージシャンらしき御仁と聞き惚れているのだろうかと見えないでもないちんまりとした犬が一匹。通勤の行き帰り、見るともなしに目が探している自分がいとおかし。時は晩秋、例年より早いと天気予報が喜ばしくない御託宣を露払いに、初雪が降り、ネズミの額の当家の畑が白くまだらに色好き、しんみりとしました。今、心躍っていることがあります。4条通りから一条通りまでの買物公園、日一日と胸を揺さぶられる如く移り変わる木々の色と寒さと靴に踏みにじられてなお、存在感を失わない、深い悲しみ色の落ち葉の面々。凛とした銀杏が葉に命を燃やし輝き、点在する木々は、幹を黒々と秋色を濃くしている。一本の木でさえ、一枚として同じ色の葉はないに違いない。一枚の絵に切り取り、我が家にかけることができたなら、365日、24時間見ても飽きることがない。きっと見るたびに違ってみえるだろう。道行く人は多くはない。だが、こんなにも名画が毎日装いを変え、ひっそりとたたずんでいるのに、一度なりと視線を投げることもなく、通り過ぎていく。二度とは、同じ風景にであうこはないであろうが、もったいない。この通りにベンチを据え、湯気と香りを友として、コーヒーカップで指を温めつつ、キーンと澄み切った空気に息を吹きかけ、どんよりとした空、遠い薄青い空、水墨画の名人のようなおとどおどろしい濃淡の激しい雲さえもも愛おしくなるように、あったかい帽子に大振りなストールと厚めの手袋、そして、ともに感動を分け合える、得難い友、もしくは、いとしい人と座り、語らい、木々に話しかけつつ一足一足歩む。ふっと眼をつぶると、そんな風景がふっと浮かんでは消えていく。人生も晩秋、今頃の季節が、一層胸を揺さぶる。枝が寒そうに天に向かって手を広げていた。ぽつりぽつりと芽吹き、緑と呼ぶには余っく見ないとわからない葉を形にして行く早春。その枝の形の良さに、生け花の宗匠もあるいは、脱帽かもとみいったかの日。木々が自分らしい葉の特徴をようやく形作り、緑かなと言えるぐらいの、若葉、太陽の光が強くなるに従い、はち切れんばかりの強い緑に。葉と葉の重なりの隙間から、きらきらと日の光がこぼれ、美しい。毎日美術館に絵を鑑賞に行っているかのごとくに思え、ドキドキしつつ歩いた日々。感動を見たまま、誰かに伝えられたなら、きっと素晴らしいだろうと思いつつ、才のないのが残念です。今日見た、紅葉の中、ひと枝に残っていた、緑の葉数枚にすぎゆく季節のなのこりに足を止めてしばし見入りました。

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